“いい夫婦”とは危機を乗り越えてこそなれるもの<前編> 結婚のきっかけ

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“いい夫婦”とは危機を乗り越えてこそなれるもの<前編>

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結婚のきっかけ編集室

2018-9-21

“いい夫婦”とは危機を乗り越えてこそなれるもの<前編> -

今年で結婚35年目の白石ご夫妻。奥様は4人のお子様を育て上げた後、保育ルームやNPOを開設し、区議会議員を2期勤めたキャリアウーマン。仕事一筋の新聞記者だったご主人と“夫婦の危機”を乗り越えて、今、夫婦水入らずの時を楽しんでいる様子です。

お二人の出会いはいくつの時?

恵子さん:
彼が20歳くらいで、わたしは13歳だったかな。



出会いのきっかけは?



孝次さん:
我々は練馬でバスケットのチームを作っていてね。彼女の兄貴がチームの仲間だったんです。
徐々に強いチームになっていってね・・・大会や試合の度に祝杯をあげるわけです。それで、たまたま体育館の近くにあった彼の実家の店に自然に流れていく様になっていった。



恵子さん:
大会が終わると「よーし、じゃあビールと餃子で一杯やるぞー」って実家の中華料理店で打ち上げが始まるの。



孝次さん:
彼女の兄貴もお姉さんもバスケットをやっていたから、そのうち彼女も彼女の妹もバスケットをやるようになって・・・家族みんなが知り合いだった。男女共けっこう強いチームだったので、男子も女子も同じ日に優勝したりすると、祝勝会をしては皆で話をしたりしてね。



なるほど、そのお店に13歳の恵子さんがいたということですね



恵子さん:
そうです。練馬中学校OB会で作る「ホワイトソックス」というバスケットチーム。
彼は20歳くらいで、私の兄の先輩だった。たくさんの友達を連れてにぎやかで、そんな様子を見ているのが楽しかったですね。でもその時の私は中学校1年でしたから、打ち上げの度にお店に来る彼らを見ていて“親父たちの集まりだー”くらいにしか思っていなかったけれど(笑)

そのうち、自分たちも高校のOG会チームを作って、OG・OB会みんなでスキーに行ったり、夜遊び等いろんな遊びを、チーム同士でぐちゃぐちゃになって、まさに青春の時期でしたね。でも、その頃も彼に対して特別な思いはなかったの。



じゃあ、意識し始めたきっかけは?



恵子さん:
私が22歳の時、バスケットの実業団を辞め、保育資格の専門学校へ行ったんです。いよいよ資格者になったっていう時に、相変わらず飲みに来ていた彼に、ほかの人と違う言葉を言われたのがきっかけと言えばきっかけかな。



どんな一言を?



恵子さん:
「そんな資格なんてたいしたことない」って。
その一言にムッとして、この人は何て言い方をするんだろうって思ったわ。周りの人は「スゴイねー」って言ってくれたのに、この人だけどうして?って。
でも、女性って変なところでビビっと来ちゃうもので(笑)



ご主人が奥様のことを「この人だ」と思ったきっかけは?



孝次さん:
ずっと同じような活動っていうか一緒に過ごしてきたから、次第にっていうことなんじゃないですかね(笑)



恵子さん:
彼は30歳になっていて、適齢期だったからっていうのもあるのかな。
彼は仲間内でも一番上の先輩格で、スポーツ新聞社の記者だったからけっこう羽振りのいいイメージがあったし、後輩たちも何かと彼を頼りするような存在だったの。先輩後輩の上下関係もきっちりしていましたから、私達が付き合っていることは仲間同士に知られないように、彼はわざと後ろ構えしているような雰囲気でしたね。
でも、私からアプローチしたわけではないんだけど・・・覚えてる?



孝次さん:
ははは。どうかなぁ。



恵子さん:
覚えてないわよね? 男の人ってそういう所は覚えてないのよね(笑)



孝次さん:
ははは。まあでも、健康な人がいいなという感覚にはなりつつありましたね。周りにいろいろと出会いはあったとしても、歳と共に健康な人がいいなと思うようになりました。そういう意味では結果論的には正解だったんじゃないかなあ。
4人の子育ても自然に、何でもなくやれてきたけれど・・・それは健康だからやれてこられたのだと思いますね。

“いい夫婦”とは危機を乗り越えてこそなれるもの<前編> - 結婚記念日のエピソード

結婚記念日のエピソード

プロポーズは?


孝次さん:
プロポーズのことは覚えてないけど・・・正式に結婚したいと伝えるために、彼女のお父さんに挨拶に行った時にね。気合を入れて行ったのに・・・「言わなくていい!」って言われてしまって言わずじまい。結局、ひたすら飲んで終わっちゃった(笑)

恵子さん:
父には「言わなきゃいけないから伝えに来たよ」って言ったら「わかった。もう言いたいことは大体わかったから」って。聞きたくないっていうオーラもだしていたし・・・。ずっと昔から彼の事は知っていたしね。
まあ、なんとなく父と似ている人を選んじゃったのかもって思ったわ。


結婚記念日には何かしていますか?


恵子さん:
我が家は結婚記念日や誕生日等には子どもたちも含めてみんなでセレモニーをしています。

孝次さん:
食事会みたいなね。

恵子さん:
ただ、毎年、結婚記念日の5月は何かと忙しいので・・・「今日は何の日か知ってる?」って私が聞くと、「うん? 結婚記念日か?・・・じゃあ飯でも食いに行くか」って、夫婦で近くのレストランで食事をするくらいで、後日、家族みんなで食事会をしてお祝いします。


結婚記念日にプレゼントをしたりしますか?


孝次さん:
一度プレゼントしたことがあったな。

恵子さん:
そうね、30周年の時でしたね。緑色の真珠のロングのネックレスで・・・通称「海ぶどう」(笑)


海ぶどう?


孝次さん:
結婚30周年だからと食事の約束をしていて、時間があったから何かプレゼントを買ってもいいかなっていう感じでブラブラしながら一人で歩いていたんだ。そうしたら池袋のサンシャインの一階だったかで閉店セールをやっていて、丁度いいかなと思ってね。緑色のめずらしい真珠だなと思って、わざわざ色を選んで買ったけど「海ぶどう」って言われちゃった。

恵子さん:
あの時は「うわあ! プレゼントだなんて珍しい」なんて言いながらプレゼントを開けた瞬間、子ども達が「うわぁ海ぶどうみたい」って(笑)
それで通称「海ぶどう」になったの。合わせる服があまりなくて、あんまり出番がないんですが、うれしかったですね。


夫婦げんかはしますか?


孝次さん:
しょっちゅう(笑)だね。

恵子さん:
うちはB型家族なので(笑)
結婚した当初、私は遠慮気味で・・・彼がリードしてくれるだろうと思っていたし、そういう結婚のイメージでした。でも、子どもを4人産んでからかな、強くなったのは。それまでは、強い事を言われてはメソメソしていたけれど、耐えている必要はないんだって。こっちは言われたことがショックでも、彼は根に持ってないことに気づくと、言いたいことは言ったほうがいいんだってわかってきたんです。

彼にショックな言葉を言われて、後で言い返そうと思っていても、子どもの世話に流されたり、PTAなどで走り回らなきゃならなくなる。それで、やっと時間が出来て彼に伝えると「そんなこと俺言ったか?」なんて言われてしまったの。そんなことがあって、“この人は忘れちゃうんだ!ちゃんと伝えないとこっちが損かも”って気が付いたんです。それからは、ポンポン私からも言うようになりました。

孝次さん:
家にほとんどいなかったからなあ。
一番走り回っていた頃は一年の半分くらいしか日本にいなかったんです。2か月くらい海外に行っていて、ひと月くらい日本にいて、すぐにまた海外へという生活でした。
アメリカが多かったかな。ゴルフの取材でね。岡本綾子とかが全盛期の頃です。
トーナメントがあるたびに海外へ行って、日本人が出てなくてもアメリカのゴルフの試合をカバー取材して、日本に記事を送っていました。夕刊に載せるべく、一番早いアメリカのゴルフ情報を世の中に送る、そういうスタンスだったのでね。

恵子さん:
その頃は“仕事は戦場だから家は顧みれない”みたいな感じでしたから。

彼に、どんどん言えるようになってからは、いろんな相談事や、子ども達の進路とか将来的な相談も、私があらかじめ決めた事を報告するような形で話すようにしました。すると「ああ、それでいいんじゃない」「ああそうか」って。
結婚したての頃はつかみどころがなくて大変だったけれど。実は男の人って大きい見方をして、あまりちまちまとしたことは考えないんじゃないかってわかってきた。リーダーシップを取るよりかはリードされる方が楽なのかなって思ってみたりね。

孝次さん:
まあ、彼女は思いつくと足が出ているような感じでしたからね。足を出しながら相談してるわけだから「ノー」とも何とも言えない(笑)

“いい夫婦”とは危機を乗り越えてこそなれるもの<前編> - 夫婦円満の秘訣とは

夫婦円満の秘訣とは

夫婦が上手くやっていく秘訣ってありますか?


孝次さん:
秘訣かぁ。秘訣なんてあんまり考えたことないなあ。
上手く流れていくのがいいのかな。

恵子さん:
私の人生からすると、彼っていうのは付き合いやすい人。人生の後半で、私が区議会議員になったり、区長選に出馬したりといった“人生の大変換”を彼に与えても、それを全部受け止めてくれて、私のやりたいことをやらせてくれてましたから。
もしかしたら、女性がフラストレーションがたまってワーッと切れるよりは、好きなことをやらせたほうが、機嫌よく居てくれるとわかっているのかもしれませんね。そういう意味ではそれが秘訣なのかな。

あとは・・・秘訣ではないんですが、彼の機嫌が悪いなって感じて“あっ怒ってる?!”ってわかったら、すぐにスッと逃げて距離を置く。そういう時に言い合っちゃうとダメかな。自分がイライラしていると気が付いた時にも、少し離れたほうがいい。でも、あまり距離を置きすぎるとこれもダメですね。コミュニケーションできなくなるから。
そして、少し時間がたったら、一緒に美味しいものを食べに行こうか?って誘ってみたり、向こうからの誘いに乗ったりして、時々、互いの機嫌を取り合うといいのかな。

長い間夫婦でいるとわかる“阿吽(あうん)の呼吸”がわかってくるけれど、そういうのって色々なことを乗り越えてきたからこそわかるもの。最近は困難を乗り越える前に離婚しちゃったりするけれど、もう少し頑張れるなら頑張ってみて。って思いますね。若いからこそやってしまう事や、つい言ってしまう言葉もあるけど・・・。「別れたい」という気持は私も経験しているのでわかるけれど、お陰様で私たちは別れなかったから今がある。

孝次さん:
若い人はすぐに別れようとするけれど、離婚ってけっこうエネルギーがいると思うんだよね。

恵子さん:
「・・・するべき」とか「・・・は嫌」と、若い時って決めつけてしまいがちだけど、歳を取ってからやっと解り合えることもあるし、困難を乗り越えていかないと、夫婦にはなれないかなと思う。だからこそ、若い二人には「もう少し頑張ってみてもいいんじゃない」っていろんな場所で伝えています。

と言いつつも、子ども達が20代前半くらいになった頃、私たちの夫婦の関係を見ていて「結婚は最悪だ、結婚はしない」と口々に言われてしまいましたが・・・(笑)

定番ですが、子どもに「なんでお母さんはお父さんと結婚したの?」って聞かれた時「あなたたちがどんな風にお父さんを思っても、私は好きで結婚したんだから」って伝えていたんです。結果的に、子ども達全員、素晴らしい伴侶を見つけて3人は結婚してくれました。

今思うと、当時の彼にとっては、仕事以外にも二世帯住宅を新築したローンだとか、4人の子どもの教育費だとか、おばあちゃま達の事とか、家族を守らなければならないというプレッシャーなどがかなりあったんだと思います。私は主婦として4人の子どもを育てるのに必死でしたしね。特に3人目が双子だったし・・・。


3人目は双子さんだったのですか!


恵子さん:
そうなの。かなりお腹がパンパンになっていたけれど最終検診の日までは判らなかった。

孝次さん:
生まれる10日くらい前までは双子だってことは判明せずに、最終検診で「どうも心音が2つあるぞ」っていうことになってね。

恵子さん:
そんなカッコイイ言い方してるけど、上の子を2人連れて、検診の日に病院について来てくれたけど、彼は二日酔いで待合室のソファで横になっていたのよ(笑)
そして、すぐレントゲンを撮ったら「背骨が二つあるぞ」とわかって、診察室のドアの前で「イェーイ」って2本指を出したら、「何Vサイン出してるんだ?」って言うから、「双子だよ!」って伝えたら「えっ?!」って(笑)
それから彼は3日間は寝込んでいましたからね(笑)

孝次さん:
ははは。丁度この家が出来上がったタイミングで、少しはスペースが出来て、自分の好きなことが出来るかなと思っていたら、双子だってことで・・・結局スペースは子どものものになっちゃった。

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インタビュー 2014年7月18日
白石孝次さん・恵子さん 結婚のきっかけ

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