結婚のきっかけ ビザが切れるから結婚しよう!?<前編> 結婚のきっかけ

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結婚のきっかけ ビザが切れるから結婚しよう!?<前編>

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結婚のきっかけ編集室

2018-9-18

結婚のきっかけ ビザが切れるから結婚しよう!?<前編> -

今年銀婚式を迎える国際結婚カップル 意外な結婚のきっかけは・・・

プロポーズはどちらから?

美智子さん:
なかったよね?



マークさん:
うん、ないね(笑)



美智子さん:
私が21歳で、彼が20歳でした。どうしても一緒にいたいっていうだけじゃなくって、オーストラリアにいることがとても楽しかったし、友達もいっぱいいたので、弁護士さんに相談したんです。

オーストラリアって同棲しててもビザが取れるんですね。同居していて、銀行口座も一緒で、友達も承認してくれればビザが取れるんですけど、一度就労ビザを却下されているので、取ってつけたような感じになるじゃないですか。
「もし取れなかったら強制送還だよ」って弁護士さんに言われていて・・・それなら結婚して籍を入れてしまえばとりあえずそこは絶対だろうということで弁護士さんに全部お願いしまして。
今から考えると正式な感じじゃあなかったんです(笑)

こどもたちにも「プロポーズの言葉は?」って聞かれた時があって、「プロポーズした覚えもない」って言ってるんです。
本当にないよね? 結婚した覚えもない?!(笑)



マークさん:
  I cannot remember that.(笑)



美智子さん:
日本に来ることも想定外だったし、しかも子供を3人も育てることになるなんて、全部想定外な人生だよね?
あなたにとってはね?



マークさん:
はははは。気付いたらって感じだね。
たまになんでぼくは日本に住んでるんだろうって(笑)



美智子さん:
だから、子どもに聞かれると、ママからパパにプロポーズしたんだよ、「ここにサインして」って。
いろんな書類を書かないといけないじゃないですか。だから子どもたちには「サインして」って頼んで、ママはビザをゲットするために結婚したんだよって言ってあるの。



マークさん:
そういうこと。



美智子さん:
その申請を出したおかげでオーストラリアにいられて。でも、結果が出てくるまでに1年かかったんですよ。
なので、その間はパスポートをイミグレーションに預けていて出国することも出来なかったので、そこで生活をスタートしました。
その時はまだ、彼のお母さんと一緒に住んでいたんですね。



マークさん:
結婚式はビザ申請する前に、シドニーの教会で。友達が承認になってくれて式を挙げました。
でも、実はまだ結婚のことをお互いの両親には内緒だったんです。



えー?!本当ですか?!



美智子さん:
事後報告(笑)



マークさんのお母さんは知っていたのですよね?



マークさん:
いいえ、知らなかった。



美智子さん:
一緒に住んでても、彼のお母さんには知らせてなかったし、結婚式にも出ていないんです。結婚式は本当に友達だけだったんです。
ほんとに結婚式の実質的なことだけだった気がする。

結婚式って両親の為にする部分ってあるじゃないですか。そういうのは一切排除して、とにかく二人が一緒にいることが証明されないと、ビザがおりないっていうことで。なんでそうなのかっていったら、一緒にいたいからっていうだけのことで、しなきゃいけなかったから。

だから、これが日本だったり、私がたとえばオーストラリア人でむこうにいることが平気な状態だったら、そんなに焦って結婚しなかったかもしれないですね。



マークさんのお母さんにはどう伝えたのですか?



美智子さん:
お母さんにはすぐばれて・・・よく覚えてないけど・・・。



マークさん:
・・・your ring ・・・



美智子さん:
ああそうそう。指輪してたからばれたんだっけ(笑)



マークさん:
そうだよ。

結婚のきっかけ ビザが切れるから結婚しよう!?<前編> - オーストラリアで 出会いのきっかけ

オーストラリアで 出会いのきっかけ

お二人で同じお仕事をしていらっしゃるのですか?



美智子さん:
二人とも職場は違います。私は、父が4年前に亡くなったので、父の後を継いで建築関係の仕事をしています。

彼はうちの取引先の会社のひとつで、懇意にしている社長さんのところでお世話になっています。
日本に来たばかりで、まだ日本語もわからなかった時、体を動かしてとりあえず仕事になるならと言うことで、そこで働きはじめることになりました。



お二人の出会いは、どこで?



美智子さん:
20歳くらいの時にオーストラリアにワーキングホリデーに行ったんですが、ワーキングホリデーって1年間だけのビザしか取れないんですけど、その間に知り合って向こうで結婚しました。



1年間のうちに?



マークさん:
ワハハ!(笑)それもしばらく一緒に働いていたのに、付き合い始めたのは残り3カ月くらいの時でした。



美智子さん:
職場結婚ですね。同じレストランでお互い働いていて、彼はキッチンでシェフ見習いをしていて、私はウェイトレスで。
その頃のオーストラリアはまだ日本人が少なくて、でも、ハネムーンで人気が出てきた頃だったのですね。

それで、現地のレストランに日本人のお客様が来ることが多かったので、通訳的な感じの仕事があったのでそこで仕事をしていました。そこで一緒に働いていて、それで・・・ていう感じ。



スピード婚ですよね?



美智子さん:
ビザが切れてしまうと困ると思っていたんです。オーストラリアから帰りたくなかったから。
それで、会社からワーキングビザを申請してもらったんですが、ワーキングビザがおりなかったんですね。
でも、いよいよビザが切れてしまって、どうしようって、弁護士さんに相談したら、まあじゃあ結婚したらっていうことになったんです。

結婚のきっかけ ビザが切れるから結婚しよう!?<前編> - 突然娘が国際結婚していた!? 果たしてご両親の反応は・・・

突然娘が国際結婚していた!? 果たしてご両親の反応は・・・

日本のご両親には、結婚のことをどうやって知らせたのですか?

美智子さん:
ワーキングホリデーのビザって1年のはずなのに、1年半たっても帰ってこないから、母から「何しているんだ」と言われて。
電話で「実はね、帰りたくなかったから申請しちゃったんだ」って。「結婚式あげて、写真撮って、パスポートは移民局にあるから帰れなかった」って。
そうしたら、「どんな男と結婚したんだ?!」って父親が私の妹と一緒にオーストラリアに来たんですよ。
母は飛行機が苦手だから来なかったんですが。

で、こういう状態でこうでああでって説明しました。父達は3~4泊くらいして、とにかく、認めるも認めないも、歳も若いし、自分たちで考えたんなら好きにしろって感じで、「おいおい見とくぞ」的なことを言い残して日本に帰っていったんです。帰れないものはしょうがないって(笑)
で、最後に空港で父が言ったのが「そういえば、お前日本の婚姻届は出したのか?」と。

申請することに夢中だったから日本に婚姻届を出してなかったんです。だから、父親にしてみたら、「日本に婚姻届を出してないなら、お前らはまだ結婚したことにはなっていないだろ」みたいな。父にとってはね。
だから、じゃいいかって、ちょっと安心した感じになって。
でも、私が「(婚姻届)出したいよ。出していい?」って言ったら・・・そしたらそれがちょうどね、6月とか7月だったんですよね。
そしたら父は「じゃあ、3月まで待て」と。「確定申告が終わるまで待て」と言われました(笑)
この娘あってこの父ありっていう感じで。「今年中はお前は扶養家族でいろ」と(笑)

それで、(ビザが取れるまで)約1年かかったんですね。
で、11月に申請して、89年の10月くらいにようやく晴れて、永住権が取れました。
結婚すると永住権がもらえるので。

パスポートがもどってきたから、一回日本に帰って、いろいろと母親にも会わせないといけないし、クリスマスあたりに彼と帰国しました。2週間くらいいて、親せきに会ったりして「結婚した」と報告して、オーストラリアに戻りました。
その時はもうずーっと帰国しないつもりでいたんですけど、それから、4年くらいたって・・・。

4年くらいだっけ?



マークさん:
24だった・・・。

美智子さん:
じゃあ3年くらいだね。3年くらいはお気楽に過ごしていました。
子どもも出来ず、お母さんのところから出て二人で生活始めて、お互いに仕事して。
で、その頃、私の祖父が亡くなったんです。おじいちゃんが亡くなって、続けて叔父も亡くなったんですね。
そしたら、「このままずっとこっちにいたら、両親や祖母にもずっと会えずにいたら・・・」と思って急にホームシックになっちゃって。

その時は、こどももいなくてすごく気楽だったから、とりあえず1年くらい日本に帰ってみようかなって。とりあえず日本に帰って、仕事して、日本のいろいろを整理しようと思って帰ってきちゃったんです。

彼はちょっと日本に旅行に来た!っていう気持ちだったんですよね。「ちょっと付き合ってくれた」っていう感じだったんだけど(笑)
祖父のお墓詣りをして、おばあちゃんに会ってってしているうちに、こっちで仕事も見つかって。そのうちに、やっぱり母親は、やっと日本に帰って来た娘だから、なるたけ帰さないように帰さないようにってなっていて。

向こうで結婚して4年半くらいは一緒にいたけど子どもができなかったので、そろそろ子ども欲しいかなあっていう思いもありました。
出産するなら日本がいいかなって思い始めたり・・・、そしたらうまい具合に丁度子どもが生まれて。そこから、やっぱり子どもが出来るとどんどん帰れなくなっていって・・・。

一人目がやっと歩くようになったら二人目が生まれて、で、そうこうしているうちにね、子どもたちが幼稚園に通う年になってきて、どんどん帰るに帰れてなくなっていきました。
その時はまだ、2人とも「帰る」っていう言い方をするような状況だったし、オーストラリアでの荷物も、洋服とかそういうのは処分してきたんですけど、また、生活が始められるように、生活用品などはお友達の家のガレージの奥の方にたくさん預かってもらっていたので、帰る気満々だったんです。

ところが、おかげ様で仕事もその頃からずーっとやれていたし、彼も日本語を覚えて、仕事でも使えるようになっていったし、子どもはどんどん成長するし。
孫がかわいいから、おじいちゃんおばあちゃんはあたしたちが「帰ろうかな」みたいな話をちょっとでもすると、阻止するようなことを言うし。
そんな感じで現在に至っているんです。

マークさん:
長女が幼稚園に入って飛行機に乗っても大丈夫なくらいになった時に、真剣に一回、向こうでは仕事もないし、家も探さないとだけど、帰ろうかと夫婦で話し合いました。でも僕の中では移民の国、オーストラリアでもアジア人に対する偏見とかいじめとか不安なことがいろいろあって、普段学校や子どもたちと関わる母親がよくわかってる日本で教育を受けさせた方がうまく行くって思ったんです。
子どもたちがどうしたいかはそのあと考えればいいって。



美智子さん:
そんな決心をしたときに息子も生まれて、そこからずっと、(私たちが)「帰る」って言わなくなったので両親も安心して。
そのあとすぐに母が亡くなって・・・父だけになったから益々帰れなくなって・・・。
で、その後、父も亡くなって、私が会社を継いじゃったから全く帰れなくなって(笑)

でも、おかげさまで、彼は帰りたいって言わないので。まあ、水が合っているのは別だけれど、そんなに風邪もひかないし病気もしないので。
花粉症だけはちょっとあるけれど、それ以外はね。
食べ物でホームシックになることもないし・・・。



マークさん:
いろいろ食べたいものはあるよ(笑)



では、ご主人はずっとオーストラリアに帰ってないっていうことなのですね?



美智子さん:
そうです。
でも、今までオーストラリアに子どもたちを全く連れて行ってないのは・・・やっぱり彼らは日本人だけじゃないわけだから、で、長女が小学校6年生で、次女が小学校4年生で、息子がまだ幼稚園の頃に、一回オーストラリアに行きました。ここがパパの・・こんなとこだよっていうような感じで連れて行って。



それはどのくらい?



美智子さん:
1週間くらい。家族でね。
その時は、彼のお母さんとようやく会えて・・・喜んでくれました。孫が生まれても全然連れて帰ってなかったから。

ああでも、息子が生まれた時には、義母がオーストラリアから日本に来てくれました。私達が行くより、お義母さんに来てもらう方が楽だし、長くいられるし。
そのあと3~4年続けて、年に一回は来てくれていました。
日本に来るとね、3週間くらいいるんだよね?



マークさん:
うん。家が狭いし、子どももバタバタしているから、どうしようって思って、母の為に近所のマンスリーマンション借りたんです。
母は友達と一緒に来ているので、二人でマンスリーマンションにいてくれて。

食事も自分たちでそこで作れるし、好きな時間に寝起きできるし、自由にできるからとてもいいんですよ。ベッドもお風呂もあるし、洗濯機やテレビ、冷蔵庫はついてるし、家財道具も契約すればトイレットペーパーから持ってきてくれるし。ある意味、ホテルよりは格安で借りられるのです。

だから、母たちも、好きに二人で出かけていましたよ。
「電車の駅はここだよ」って教えると、大体、日本の駅ってローマ字で駅の名前が書いてあるから、ほとんど困ることなく過ごしてました。
僕の会社の社長さんが一緒に旅行に連れて行ってくれたりもしたよね。



<後編へつづく>
インタビュー 2013年4月13日
Mark Anthony Ostenさん・美智子さん 結婚のきっかけ

Mark Anthony Ostenさん・美智子さん 結婚のきっかけ